流れ行くときの中で - 2014.08.08 Fri
8月3日、午前2時56分、父がこの世を去った。
8月2日午前。入院はしていたものの、苦しむわけでもなく、状態は悪く見えない。
「今晩かもしれません」
だから、平穏に寝ている姿を見るにつけ、医師の突然のその言葉は、にわかには信じがたいものだった。
しかし医師の経験なのか潮の満ち引きなる自然の摂理なのか、予定調和の如くそのときがやってきた。
急激に血圧が下がり、呼吸も1分間に一回程度となる。
そして、静かに、本当に静かに、眠るように……。
入院中、ボクは病院に行くことができなかった。
それは、「忙しいから」などといった理由ではない。
「気持として」である。
ボクの中で父は、いつまでも活力あふれる強い存在でなければならなかった。
「エネルギーを失っていく姿を見たくない」、そんな思いが自然と目を背けさせた。
ひとりっこで(正確に言うと、おねえちゃんを亡くしている)、しかも父がかなり年をとったときの子なので、特にその思いが強かったのかもしれない。
でも、何故だか、医師からご臨終の宣言がされてからは、不思議とその安らかな寝顔を直視することができた。
顔をなでながら、語りかけることも……。
お通夜、告別式の2日間、ボクはいろいろな方々から父の話を聞いた。
「足を向けて寝られない」
「今でも教えを守っている」
「間をとりもってくれた」
「貧しい自分を毎日のように家に呼んでご飯を食べさせてくれた」
中には、継母のいじめを受けた自分の壮絶な幼少時代を振り返りながら、「そんな私を不憫に思ってくれた、本当の父のような人だ」と、今でも曲がっている右手をさすりながら語る親類の方もいた。
決して口数が多いわけでもなく、派手な言動をするわけでもない。
大変な経験や苦労をしながらも、それを表に出すわけでもない。
特に、子供のボクにはまったく苦労を語るわけでもないし、ボクもやりたいようにやらせてもらった。
父親の強さって何だろう。
ボクにとって、父って何だろう……。
北風の強引な強さと、太陽のやさしさあふれる強さ。
時にあっけないほど脆い鋼の強さと、そよ風になびく柳のやわらかい強さ。
生きるということは、決して楽なことではない。
永年に渡り、日々、様々な苦難を乗り越え、決して折れることのない芯(真)の強さを胸に、立派に生き抜いた父。
みんなに信用され、慕われている父。
父は太陽であり、柳である。
今日も新しい日がやってきた。
どんなことがあろうと、ときは止まることなく刻まれ、流れ行く。
でも、ときが変わろうと、不変のものは確実に存在する。
やさしく、やわらかい、本当の、永遠の強さ。
そんな強さを持った父を、ボクは誇りに思う。

おとうさんへ
子供の頃、いつも枕元で物語をきかせてくれてありがとう
同じ話だから結末がどうなるかはわかってるんだけど、
でも、何だか、とてもドキドキしてきいてた
三人の子供が出てくる話だったよね
でも、もう、内容を忘れちゃった
どんな話だったっけ?
訊きたかったけど、訊くとおとうさんが死んじゃうような気がして、
結局、訊けなかった
日曜日のキャッチボールも楽しかったよ
安心して思い切り投げられた
おかげで速い球をなげられるようになったしね
でも、ボクはコントロールが悪かったから、
夕闇の中、草むらに入ったボールをどれだけ探してくれたっけ
探し疲れちゃったよね
ボクのために、ありがとう
じゃあ、おやすみなさい
いつか、また、どこかで

8月2日午前。入院はしていたものの、苦しむわけでもなく、状態は悪く見えない。
「今晩かもしれません」
だから、平穏に寝ている姿を見るにつけ、医師の突然のその言葉は、にわかには信じがたいものだった。
しかし医師の経験なのか潮の満ち引きなる自然の摂理なのか、予定調和の如くそのときがやってきた。
急激に血圧が下がり、呼吸も1分間に一回程度となる。
そして、静かに、本当に静かに、眠るように……。
入院中、ボクは病院に行くことができなかった。
それは、「忙しいから」などといった理由ではない。
「気持として」である。
ボクの中で父は、いつまでも活力あふれる強い存在でなければならなかった。
「エネルギーを失っていく姿を見たくない」、そんな思いが自然と目を背けさせた。
ひとりっこで(正確に言うと、おねえちゃんを亡くしている)、しかも父がかなり年をとったときの子なので、特にその思いが強かったのかもしれない。
でも、何故だか、医師からご臨終の宣言がされてからは、不思議とその安らかな寝顔を直視することができた。
顔をなでながら、語りかけることも……。
お通夜、告別式の2日間、ボクはいろいろな方々から父の話を聞いた。
「足を向けて寝られない」
「今でも教えを守っている」
「間をとりもってくれた」
「貧しい自分を毎日のように家に呼んでご飯を食べさせてくれた」
中には、継母のいじめを受けた自分の壮絶な幼少時代を振り返りながら、「そんな私を不憫に思ってくれた、本当の父のような人だ」と、今でも曲がっている右手をさすりながら語る親類の方もいた。
決して口数が多いわけでもなく、派手な言動をするわけでもない。
大変な経験や苦労をしながらも、それを表に出すわけでもない。
特に、子供のボクにはまったく苦労を語るわけでもないし、ボクもやりたいようにやらせてもらった。
父親の強さって何だろう。
ボクにとって、父って何だろう……。
北風の強引な強さと、太陽のやさしさあふれる強さ。
時にあっけないほど脆い鋼の強さと、そよ風になびく柳のやわらかい強さ。
生きるということは、決して楽なことではない。
永年に渡り、日々、様々な苦難を乗り越え、決して折れることのない芯(真)の強さを胸に、立派に生き抜いた父。
みんなに信用され、慕われている父。
父は太陽であり、柳である。
今日も新しい日がやってきた。
どんなことがあろうと、ときは止まることなく刻まれ、流れ行く。
でも、ときが変わろうと、不変のものは確実に存在する。
やさしく、やわらかい、本当の、永遠の強さ。
そんな強さを持った父を、ボクは誇りに思う。

おとうさんへ
子供の頃、いつも枕元で物語をきかせてくれてありがとう
同じ話だから結末がどうなるかはわかってるんだけど、
でも、何だか、とてもドキドキしてきいてた
三人の子供が出てくる話だったよね
でも、もう、内容を忘れちゃった
どんな話だったっけ?
訊きたかったけど、訊くとおとうさんが死んじゃうような気がして、
結局、訊けなかった
日曜日のキャッチボールも楽しかったよ
安心して思い切り投げられた
おかげで速い球をなげられるようになったしね
でも、ボクはコントロールが悪かったから、
夕闇の中、草むらに入ったボールをどれだけ探してくれたっけ
探し疲れちゃったよね
ボクのために、ありがとう
じゃあ、おやすみなさい
いつか、また、どこかで
