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2015-01

南の島にこころを寄せて その2 - 2015.01.09 Fri

天下分け目の関ヶ原。
1600年の関ヶ原の戦いを経て、時は江戸時代を迎える(1603年)。
江戸幕府もまた、豊臣秀吉が行ったのと同様に、キリスト教を禁止すべく「禁教令」を発令する(1612年~4年)。
この禁教令によって長崎と京都にあった教会は破壊され、主だったキリスト教徒がマカオやマニラに国外追放された。
とは言え、この当時は「キリスト教徒の処刑」といった徹底的な対策はまだ行っていなかった。
なので、依然としてキリスト教の活動は継続していたんだね。

でも、次第に様相は変わっていく。

前回書いたように、スペイン、ポルトガルは植民地政策を進めていた。
そして、この両国はカトリックの国。カトリックの布教活動も進めていた。
だから、「宣教師は侵略の尖兵である」という図式があり、江戸幕府もそれを警戒していたんだけど、この図式を幕府に植え付けるのに一役買っていた国がある。
さてどこでしょう?

では、出席番号……。

うわあああ、もうやめましょうよ、このワンパターン。。

そうだね、さっさと進めよう。

答えはオランダ。

オランダはプロテスタントの国。
だから、「貿易はするけど宣教はしない」というスタンス。
江戸幕府に「おいらたちは大丈夫でっせ。スペインやポルトガルはやめときなはれ。あやつらは布教して金をまきあげ、挙句に植民地にしようとするんですわあ。おいらたちもスペインに支配されてましてな……」って具合に言い寄った。

ここでおさらい。

カトリックは教会という組織を重視。なので、神>教会>聖書>信者
プロテスタントは個人的なイエス・キリストとの関係を重視。なので、神>聖書>教会(=信者の集まり)

組織的に教会を重視するカトリックは、見た目にも「教会」という重要拠点を利用して「布教=侵略」ととれる構図。
幕府は献金による金や銀の流出も恐れたんだろうね。
ということで、江戸幕府は、1639年の南蛮船入港禁止がその始まりとされている「鎖国」へと向かって行く。
江戸幕府に言い寄ったオランダは、鎖国時代も長崎の出島(1634年築造)で貿易を続けることになった。

江戸幕府は貿易の制限と同時に、「キリスト迫害」を進める。
1629年に導入された「踏み絵」が有名だよね。
そして決定的になったのはこれだね!

天草四郎で有名な「島原の乱(1637~1638年)」。

厳しい年貢の取り立てに苦しんでいた農民と迫害を受けていたキリシタンが一揆を起こした。
この時に総大将に選ばれたのが、キリシタンの間でカリスマ的な人気を得ていた16歳の少年天草四郎だったんだね。

こうして島原の乱以降、キリスト教の禁止はより一層徹底され、1644年には国内にカトリックの司祭がひとりもいない状況になった。
それでも、密かにキリスト教の信仰を捨てずに代々伝えていった人たち(潜伏キリシタン)もいた。
慈母観音像を聖母マリアに見立てたり(「マリア観音」と呼ばれる)、聖像聖画やメダイ、ロザリオ、クルス(十字架)などの聖具を秘蔵して「納戸神」として祀ったり、キリスト教伝来当時にならったやり方で生まれた子に洗礼を授けるなどして信仰を守り続けた。

150109goto1.png
マリア観音

時は進み1797年。
五島列島を収めていた五島藩(福江藩とも呼ぶ)の要請により、農業開拓のため肥前国(今の長崎、佐賀)を収めていた大村藩から五島列島への移住が始まった。
そして、この時移り住んだうちの約3,000人は、仏教徒を装った潜伏キリシタンだった。

つづく

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Author:Omunao
神奈川県に住むオムライス好きの男性です。
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