2014
05.04

仙臺雑記 その5

Category: その他
閖上地区には日和山と言う小高い丘があり、丘の上には富主姫神社が建立されている。
側面には、きれいな花で飾られた「閖上」の文字が。

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その隣りある「心は!ひとつ! 閖上人」と書かれた看板。

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今、閖上地区は復興の方向性で揺れている。
この地に「まち」を再建しようと計画している名取市。
そして、住民の75%は「波の音が怖くて戻りたくない」などの理由で「この地に戻りたくない」と主張している。

市は、「かさ上げ」をしてその上に「まち」を作ればよいという。
勿論、まとまって人がいないと経済的に「まち」として成立しないという計算に基づく計画ではある。

勝手なことを言わせて頂けば、ここに「まち」を再建してはいけないと、閖上の地に立ってボクはそう思った。
現地を訪れるまでは、ただただ「一日も早く震災前の状態に戻ってほしい」と願っていた。

故郷は心の拠り所であるし、住んでいらした方、犠牲になられた方やそのご家族のことを思うととてもつらい。
でも、もしボクがここに生まれ育っていたとしても、この地での再建には反対である。

文明が発達し「人工的な豊かさ」を「豊かさ」ととらえ、生産性の高さと利潤の追求が是とされる世の中。ボクもその世の中に生き、いろいろなものを享受している。だから今回の旅だってできるし、このブログも書ける。

でも、その豊かさは「人間のおごり」の上に成り立っている豊かさであり、何だか、大いなる自然が人間のおごりを戒めているような、そんな空気を肌で感じた。

75%の住民が「戻りたくない」とする中で、護岸の強化とかさ上げで「まち」の再建を企てる。
かさ上げをしたところで、きっといつの日か、そのかさ上げを上回る津波が新しい「まち」を飲み込むことだろう。

本当に大切なことは何?
豊かさって何?
この時代に、この国に、このような震災が起きたことは単なる偶然ではないような気がする。

森羅万象に八百万の神が宿る大和の国、日本。
自然と共生し、先人は共生するための教えを伝承してきた。

たとえば仙台市の若林区には「浪分神社」という神社がある。
現在この神社がある場所は、慶長16年(1611年)の慶長三陸地震に伴い発生した大津波のときに当地を襲った津波が二つに分かれ、その後、水が引いた場所だと伝わる。
要するに「ここから海寄りには住んではいけない」というとを知らせる神社である。
3年前の震災では、この神社の2キロほど手前にある「仙台東部道路」で津波は止まったようであるが、震災後、この神社に限らず東北のいろいろな所で「神社の手前で津波がとまった」という報道がされた。


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日和山に立ち、遥か遠く、海の方を見やる。

「さあ、丘に舞う穏やかな風と同化してごらんなさい。大和の民であれば、何もかもが失われたこの地の空が何でこんなにも美しいのか、何で鳥のさえずりが清らかなのかわかるはずです。復興はそれを理解した上で遂げるものでしょ」

女神さまが微笑みかける。

ボクが感じた安堵感。それは、なにもかも悟った母なる大自然に抱かれた赤子の安らぎだったのだろうか……。

この世でもあの世でもない、不思議で、何だかとても神聖に思える空間。閖上。

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つづく

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コメント
こんばんわ
復興は大切ですが、作り方を考えないとダメだと思います。
ネリムdot 2014.05.04 20:31 | 編集
ネリムさん、こんにちは!

復興って何か?
自分は何ができるのか?
何をすべきなのか?

とても考えさせられます……。
Omunaodot 2014.05.05 18:20 | 編集
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