2014
06.11

雨の日に観る物語 その2

Category: その他
どの作品でもそうだけど、鑑賞者にはあれこれ勝手に言える特権がある。
なので、勝手な妄想で「そうだそうだ、わかるなあ」と言おうが、「えー、ちょっとねえ」と言おうが、それは作者の手を離れた瞬間に鑑賞者に委ねられることになる。

ということで、勝手な鑑賞文を!

と、その前に……。

新海監督は、この作品の制作中、こう語っている。

初めて「恋」の物語を作っている。すくなくとも自分の過去作では描いてこなかった感情を、本作ではアニメーション映画の中に込めたいと思っている。
企画を立ち上げる時に思い出していたのは、例えば次のようなことだ。
この世界には文字よりも前にまず───当たり前のことだけれど、話し言葉があった。
文字を持たなかった時代の日本語は「大和言葉」とも呼ばれ、万葉の時代、日本人は大陸から持ち込んだ漢字を自分たちの言葉である大和言葉の発音に次々に当てはめていった。
たとえば「春」は「波流」などと書いたし、「菫(すみれ)」は「須美礼」と書いたりした。現在の「春」や「菫」という文字に固定される前の、活き活きとした絵画性とも言えるような情景がその表記には宿っている。
そして、「恋」は「孤悲」と書いた。
孤独に悲しい。
七百年代の万葉人たち───遠い我々の祖先───が、恋という現象に何を見ていたかがよく分かる。
ちなみに「恋愛」は近代になってから西洋から輸入された概念であるというのは有名な話だ。
かつて日本には恋愛はなく、ただ恋があるだけだった。
本作「言の葉の庭」の舞台は現代だが、描くのはそのような恋───愛に至る以前の、孤独に誰かを希求するしかない感情の物語だ。誰かとの愛も絆も約束もなく、その遙か手前で立ちすくんでいる個人を描きたい。
現時点ではまだそれ以上のことはお伝えできないけれど、すくなくとも「孤悲」を抱えている(いた)人を力づけることが叶うような作品を目指している。
(監督 新海誠 2012年12月24日)

愛"よりも昔、"孤悲"のものがたり。
孤悲……孤独に悲しい。

靴職人を目指す、15歳の高校生、タカオ。
タカオと同じ学校の古典の27歳の教師、ユキノ。

主人公の設定には賛否両論あるだろう。

ボクは、設定は「これでなければならない」と、そう思う。

先ず「ユキノ」という美しい名前。これは絶妙である。
「ユキノ」は苗字であり、ファーストネームではない。
フルネームは雪野百香里(ゆきの ゆかり)である。

生徒と教師。
生徒が教師のことを名前で呼んだらドロドロした関係を想像してしまう。
かといって、ありふれた苗字だと観る者に「よそよそしさ」を覚えさせてしまう。

そして、ユキノが27歳であり、教師であること。
人に教える立場の教師であるが、大人になりきれない「優しすぎる」と言われる女性。
花澤香菜さんの「大人の女性と舌っ足らずの少女が同居する声」がうまくユキノとマッチしている。

噂が広まり、非難され、学校に行かれなくなってしまった「出社拒否(登校拒否)」状態のユキノ。
「27歳の私は、 15歳のころの私より少しも賢くない。 私ばっかり、ずっと、同じ場所にいる」
そう、ユキノはつぶやく。

一方のタカオ。
靴職人を目指す高校生。
幼少の頃のシーンで出て来た父親は、今はいない。
母と兄と住んでいるが、家事をこなし、「ひとまわりも下の若い男とつき合う」母親のことを「あの人」と呼ぶ。
以下、兄との会話のシーン。

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兄「おふくろは?」
タカオ「家出」
兄「ラッキー。コロッケ山分けだな」
タカオ「さがさないでくださいと手紙にあったけど、本当にいいのかな?」
兄「ほっとけよ、どうせ彼氏とケンカして帰ってくるだろ」
兄「部屋決めて来た。来月出ていくから」
タカオ「ひとり暮らし?」
兄「彼女と住む」
タカオ「それが家出の原因なんじゃないの母さんの。昨日話したの?」
兄「ああ。いい加減子離れしてほしいぜ。自分もひとまわりも下の男とつきあってるくせに」
(回想シーン)母「いいわよ。じゃあ、あたしも彼氏と住むもん」
タカオ「あの人、若く見えるからね」
兄「苦労してないから若いんだよ。その分、おまえが老けてくなあ」

しっかり者、だけど、大人の階段をのぼり始めたばかりの、15歳の少年。

"子供のころ、空はもっとずっと近かった。"
"だから、空のにおいを連れてきてくれる雨は好きだ。"
これは、不快な満員電車を降りたタカオが公園に向かう冒頭のシーン。

140611kotonoha1.png


そんな二人が、「雨の日の朝の新宿御苑」で距離を縮めて行く。
そこは、「晴れの公園」というみんなの共有の場所ではなく、「雨の公園」というふたりだけの特別な場所。

そして、作りかけの靴を「ユキノのため」と決めたタカオがユキノの足のサイズを測るシーン。

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ユキノはタカオに向かって言う。
「私ね、うまく歩けなくなっちゃったの。いつの間にか」
「それって、仕事のこと?」
「ううん、いろいろ」

うまく歩けなくなったユキノを歩かせてあげるのは、「靴職人」を目指すタカオしかいない。
タカオだからこそ、「うまく歩けなくなった」ユキノに靴を作ってあげることができるのだと思う。

大人になりきれない、27歳の教師、ユキノ。
自立を促される環境におかれた15歳の高校生、タカオ。

年齢差も、教える側と教えらえる側と言う世俗的な立場も、「雨」というシチュエーションの中で融合し、救い救われ、見事な均衡となっている。

そこにあるのは「男女の恋愛」ではない。
二人をつないでいるのは、お互いの、孤悲、である。

つづく

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コメント
>かつて日本には恋愛はなく、ただ恋があるだけだった。

なんか、いいですね。
Omunaoさんの記事読んでいたら雨の音が聞こえてきました。
今の季節にぴったりのお話ですね。

つづきが早く読みたいです。
さとちんdot 2014.06.11 07:25 | 編集
さとちんさん、こんにちは!

返信が遅くなってすみません。。
雨は鬱陶しくて嫌だ
ただそんなことを思っていましたが、四季折々にある情緒とドラマ。
そんなものに触れることができる喜びが少しずつわかってきたように思います。

さとちんさんの文章も、情緒たっぷりですね。。

続き、もうしばらくお待ちください。
Omunaodot 2014.06.12 08:10 | 編集
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