2014
12.21

風、美、そして、生きて在ること ~ 「風立ちぬ」所感 ~

Category: その他
みなさま、あたたかいお言葉とお気遣い、ありがとうございます。
本当に嬉しいです。早く治さないとと思い、これでもかというくらいに寝ました。
おかげさまで、まだ咳と鼻水はちょっと出るものの、熱はとうに下がり、すっかり開放に向かっております。
ひゃっほー!
大開放大回転!
打ち止め!バンザーイ!!\(^o^)/

違うでしょ!
快方に向かっておりますです。はい。

ということで、さとちんさんにコメントで命ぜられました「治るまでブログ禁止」に関する解除許可申請も無事に承認を得ることができましたので(いつ? えっと、夢の中で)、記事を書きたいと思いまーす!

何を書こうか???

そうそう、「風立ちぬ」の所感を。

以下、敬称略で。

先日神保町で購入した堀辰雄の「風立ちぬ」を読んでいて、ふとアニメ「風立ちぬ」と重なり合った。

最初に両方のあらすじを。

先ずは小説の「風立ちぬ」。

ある夏、避暑地の高原で主人公の「私」は節子という美しい少女と出会う。
絵を描く節子。横で寄り添う「私」。「風立ちぬ、いざ生きめやも」の詩句が、そんな「私」の口をつく。
2年後の春。
「私」は節子と婚約するが、彼女は結核を患っていた。
病状は思わしくなく、節子の父親は、「私」と院長が知り合いの富士見のサナトリウムへ入れたらどうだろうかと切り出し、承知した「私」は自分も同行すると約束する。
そして4月下旬、ふたりは汽車で八ヶ岳へと発ち、人里離れた療養所での生活が始まる。
医師には「この病院で2番目に重い患者かもしれない」と宣告されるほど節子の症状は重い。しかし、「時間」から抜け出したふたりきりの日々は、異質の魅力でふたりの気持ちを満ち足りたものにするのであった。
季節は巡り秋を迎える。
10月に節子の父が訪ねてきた後、節子の病状はかつてないほど悪化。しかし1週間ほどで危機を脱する。
そんな折、「皆がもう行き止まりだろうと思っているところから始まっているような生の愉しさ。誰も知らないふたりだけのものを確実な形あるものにしたい」との理由で、「私」は節子に二人の日々のことを小説に書きたいと打ち明ける。
この「私」の案に節子も同意。しかし、いざ物語を考える段になると、「私」は自らの夢想に恐怖と羞恥心を覚える。その物語自身がそういう結果を欲するかのような病める女主人公の物悲しい死。自分たちの身の上そのものを書こうとしているのだが、その悲劇的な終わりまでを夢想してしまっている自分……。
その後、節子の容態は日毎に悪化していく。
ふたりの物語を書き続ける「私」だが、結末だけは書けずにいた。
そして迎えた1935年12月5日(死の前日)。
節子は夕暮の山影を見て「あら、お父様」とつぶやく。
「私」の「家へ帰りたいのだろう?」との問いかけに、「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」とかすれた声で返事をする節子。
そして節子は続ける。
「御免なさいね。……だけど、いま一寸の間だけだわ。……こんな気持ち、じきに直るわ」と。
1936年12月1日。 節子の死から約1年。「私」は節子と出会った軽井沢村の近くに小屋を借りていた。
雪が降る山小屋で節子のことを追想する「私」は、今こんなふうに生きていられるのも節子の無償の愛に支えられているからだと気がづく。そして、人生の明りは自分が思っている以上にたくさんあるのだと……。
「私」はベランダに出て風の音に耳を傾ける。
枯れきった木の枝と枝が触れ合う。
そして、足もとでは、風の余りらしいものが2つ3つの落葉を他の落葉の上にさらさらと弱い音を立てながら移している。

続いてアニメ「風立ちぬ」のあらすじ。

群馬県に生まれた堀越二郎は、幼いころから飛行機に憧れる少年だった。
夢の中の草原で飛行機製作者のカプローニ伯爵と出会った二郎は飛行機の設計士を志す。
東京帝大で航空工学を学ぶ二郎は、汽車のデッキで帽子を飛ばされる。その帽子を、隣りの車両のデッキに女中のお絹とふたりでいた少女里見菜穂子が見事にキャッチ。帽子を返し二郎に「Le vent se lève」と話かける菜穂子。「il faut tenter de vivre」と応える二郎。
別れの挨拶を交わした二郎は再びデッキに座り「Le vent se lève, il faut tenter de vivre. 風が立つ。生きようと試みなければならない」とつぶやく。そんなときに関東大震災が発生。二郎はふたりを助け、菜穂子の家がある上野に送り届ける。
大学卒業後、二郎は三菱内燃機製造に就職し名古屋に赴く。そこで上司の黒川は、二郎に欧米の進んだ技術を学んでくるよう勧める。同期の本庄らとドイツに渡った二郎は、G38などを目の当たりにしてその技術水準に圧倒される。
帰国した二郎は、上司の服部や黒川から七試艦上戦闘機の設計主務を命じられる。初めての設計主務に二郎は悪戦苦闘するが、ようやく完成した飛行機は飛行試験中に垂直尾翼が折れて墜落。
失意の二郎は休暇を取って軽井沢に向かうが、そこで関東大震災のとき助けた菜穂子と再会し交際に発展。しかし菜穂子は重い結核を患っていた。
その後、九試単座戦闘機の設計主務を命じられた二郎は、逆ガル翼や沈頭鋲を採用するなど意欲的に設計に取り組む。そんな中、サナトリウムで療養中の菜穂子が黙って抜け出したことを知る。名古屋で菜穂子に再会した二郎は、菜穂子の死期が近いことを悟り、黒川夫妻の媒酌で結婚する。
やがて九試単座戦闘機の飛行試験の日を迎え、大成功に終わる。が、そのころ、菜穂子はひとりサナトリウムへと戻って行った。
その後日本は戦争へと突入。敗戦で焼け野原となる。
夢の中の草原でカプローニ伯爵と再会する二郎。
「君の10年はどうだったかね。力を尽くしたかね」と問うカプローニ伯爵。
「はい、終わりはズタズタでしたが」と応える二郎。
大空を、ゼロ戦の見事に統制された編隊が飛んでいく。
二郎の夢の結晶であるゼロ戦はただの一機も戻らなかった。
そして、草原を手を振りながら歩いて来る菜穂子。
「あなた、生きて」と。
二郎は万感の想いを胸に、風に消え去る菜穂子の姿を見送るのだった。

ということで、もともとアニメがヒロインの設定を堀辰雄の「風立ちぬ」から取り入れているのだから「重なり合う」のは当然と言えば当然なのかもしれないが、ボクの中で感じた重なりは、ストーリー上でのヒロインの境遇云々といったものを越えた、もっと大きなものである。

どんな重なり?

アニメ「風立ちぬ」は堀辰雄の「風立ちぬ」へのオマージュなんだけど、もしかしたら小説「風立ちぬ」の、いや「堀辰雄文学」の「完結編なのでは?」ってこと。

それは、ヒロインの里見菜穂子にある。
何で「菜穂子」なのか???
堀辰雄の別の小説「菜穂子」のヒロイン「黒川菜穂子」だから。
小説「風立ちぬ」のヒロイン「節子」のモデルは矢野綾子。堀辰雄の婚約者だ。この方。

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広島女学校から女子美術専門学校を出たこの方は、絵が得意で小学校の頃から「異人さんみたいな女の子」と呼ばれていた美人。1935年12月6日に富士見のサナトリウムで亡くなっている。
「里見菜穂子」は、美しさや絵の上手さは「節子」であり「矢野綾子」なんだけど、魂には「黒川菜穂子」が入っている。
「黒川菜穂子」もまた結核患者であり、彼女は、無性に夫に会いたくなり富士見のサナトリウムを抜け出して新宿の家に帰ってきてしまう。これって、「里見菜穂子」と同じ。そもそも「里見菜穂子」も「黒川さんの家」に住まわせてもらっているし。
小説「風立ちぬ」の節子は12月5日に「あら、お父様」とつぶやき、「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」とかすれた声で返事をする。
それでも自分の欲求を最期まで押し殺して愛する「私」の幸福のために(=ある意味、男の自己満足のために)生きた。
これも一つの立派な「生」なのだが、積極的で貪欲な自己主張を感じさせる「生」ではない。
「生きる」とは何か?
「生きて在ること」とは何か?
「生きねば」をより強調するためには菜穂子でなければならない。
アニメの主人公の堀越二郎は、正義感は強いのだが自己中心的な人間でもある。貧しい子供にシベリアをあげようと差出し逃げられるし、妹との約束はいつもすっぽかす。人の言っていることに耳を傾けもしない。里見家には庭から飛び込む。
それに、自分に興味のあるものにしか目が行かない。追い求めているのは美しいもののみ。
美しいから菜穂子にも惹かれたのである。褒め言葉は決まって「きれいだよ」の一言。
菜穂子はそんな二郎のことをお見通しだった。
「美しい自分でいられる間」だけが愛する二郎と過ごせる幸せな時間、つまり「自分が生きている時間」であると認識し、美しい自分を見せられなくなったとき、人知れずひとりサナトリウムへと戻っていった。
この引き際。自らの強い意志で「自分の生」をコントロールし、愛する者のもとから去っていく。
菜穂子は、美しい自分だけを見せることで「好きな男に美を永遠に捧げる(もしかしたら美に男を酔わせる)」女としての本懐を達成し「自分を生きた」のであり、そして同時に、節子に成り替わり「節子の心残り」をも補完したのだと思う。

それではいいところしか見せ合わない恋人同士のような関係で本当には分かり合えないのでは?
そう思われるかもしれない。
その通りだし、それでいいのかもしれない。
なぜならば……。
二郎の中で菜穂子は永遠に「美しい菜穂子」でい続けられるのであるから。
それに、菜穂子は、二郎の一番大切なものと一体化したのだから。
もう、決して離れることはない。

菜穂子と二郎が交わす最後の会話。
朝、九試単座戦闘機の飛行準備が終わり菜穂子のもとに帰った二郎。
「お帰りなさい」
「終ったよ。後は飛ばすだけだ」
「ご苦労様。おめでとうございます」
「牛にひかれて飛行場に行ったよ。ちょっと向こうに泊まり込みになりそうだ」
「お疲れでしょ」
「ちょっとね」
「きっとちゃんと飛びますよ」
「飛ぶよ。菜穂子がいてくれたおかげだよ」
「二郎さん大好き」

そう言って菜穂子は、眠りについた二郎のメガネを外す。
美しいもの”だけ”を追い求めつづけて来た目を支えるメガネを……。

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汽車でサナトリウムに向かう菜穂子。

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九試単座戦闘機の飛行は大成功。その、銀色に輝く美しき機体が宙を舞う。

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逆ガルウィングをもつその流麗な機体は、「飛行機」という名の生き物である。純粋に「美しい飛行機」を追求した二郎の夢の産物であるその生き物は、美しさと類を見ない性能で「今ここに生きて在る」ことを見せつけ人々を魅了する。
そしてこのシーンを見ながらボクは思った。九試単座戦闘機の機体には、「二郎の男として美しいものを追い求める情熱」と「菜穂子の美しき化身」のふたつが宿っているのだと。いや、菜穂子は、永遠に二郎と一体化すべく、永遠に二郎と共に生きるべく、二郎の魂が作り上げた九試単座戦闘機という機体に自らの命を投じたのだと。それはまるで、エヴァンゲリオンで、エヴァにパイロットの母の魂が入っているのと同じように……。思い返せば、菜穂子は家で仕事をする二郎が彼女と握り合った手を放すことを決して許さなかったっけ。きっと、そうやって、二郎の体を通じて二郎が引く図面に自らの魂を注ぎ込んでいたんだ。

九試単座戦闘機と一体化した菜穂子。その周りには、いろいろなひとの魂が集まっている。
堀越二郎はもとより、堀辰雄も、矢野綾子も、節子も、黒川菜穂子も、宮崎駿も、そして、ボクも。

美しきものを追い求めるその先にあるのは何だろう?
満足を得るために、幸せを得るために「美」を求める。
しかし、もしかしたらその先にあるのは破滅かもしれない。
葉先に輝く水滴が創り出す一瞬の煌めき。やがて水滴は雫となって葉先からこぼれ落ちる。
一瞬の生。今、この一瞬を生きて在ること。
その先に何があろうと、今を生きる。生きねば!
それは単に呼吸して食事をするといったことではなく、「自らの生」を、「自らの煌めき」を、思う存分発揮するということ。

風立ちぬ、いざ生きめやも。

「生きめやも」は文法的に「生きなければ。でも生きられるかなあ。生きられないよね」の意味であり、一般的に堀辰雄の誤訳が指摘されるところである。
宮崎駿はアニメの中でこれを、「風が立つ。生きようと試みなければならない」と言い換えている。
そして「生きねば」と。

本当のところは堀辰雄に聞かないとわからないが、ボクは「いざ生きめやも」には「生きねば」の強い意志が込められているのだと思っている。
そして、宮崎駿はそれを堀辰雄の代わりに主張したのではないかと、そう思う。

更に。

堀越二郎は、堀越二郎であり堀辰雄であり宮崎駿であり、男であり、美を求め夢の中に生き、夢の中に死んで行く存在である。
里見菜穂子は、矢野綾子であり節子であり黒川菜穂子であり、九試単座戦闘機であり、女であり、「一陣の風」となって男に「現実の生」を吹き込んで行く存在である。
この、永遠なる、不変にして普遍の構図。
アニメ「風立ちぬ」は、ピュアにピュアを掛け合わせて堀越二郎を通じて語ることで、これを見事に表現している。
これが、アニメ「風立ちぬ」は小説「風立ちぬ」の完結編だとボクが思う理由である。

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コメント
「風立ちぬ」
映画をみました。深く考えさせられる内容でした。
知覧へ行き、特攻隊兵の遺書を読み、あまりにも立派な方々の思いに触れ、あらためて私たちは、幸せな時代に生まれたのだと・・・。「おかあさん」に対する内容が多く、涙、涙でした。

そのような後、映画をみたのです。
技術者の夢と現実
それは、悲しいことの連続です。
その頃に生きた方々を尊敬するしかないと思います。
生き方を選べたわけではないのでしょうし、多くは、心と異なる選択をさせられたと・・・。わが子が亡くなって嬉しい親はいません。
今生きている私たちは、過去を否定することなく、過去があるから今があり、学び得たと考えられたら良いと思います。
稚拙な所感お邪魔しました。
Miyudot 2014.12.21 15:16 | 編集
アニメに出てくる「菜穂子」は、確かに『菜穂子』の菜穂子とそっくりですねー。
つかりこdot 2014.12.21 18:08 | 編集
「生きねば」この台詞、「風の谷のナウシカ」のラストの一言なんですよね。正直言ってこの一言は「ナウシカ」でやってほしかった。あれこそが名作。あれをこそアニメ化してほしかった。その最高の一言を他の作品に流用してしまうなんてもったいない気がするのです。
 「風立ちぬ」の感想じゃなくてすみません。
miss.keydot 2014.12.21 20:21 | 編集
Miyuさん、こんにちは!

とても素直でとても優しい、
こころにすーっと入ってくる所感、
ありがとうございます。

いつ、どこに、どのような境遇で生まれ育つか
人間に与えられる運命は、時に残酷にも思えます

もしかしたら、人間って、本当におろかな生き物なのかもしれません
そして、破滅への道を歩んでいるのかもしれません

だからこそ、内省の意も込めて、希望を唱え、「つながり」を大切に生きて行きたいって
思うんですけどね・・・

Omunaodot 2014.12.21 23:59 | 編集
つかりこさん、こんにちは!

今回の記事を書いていて、自分の思い(思い込み?)が強くなっていくにつれ、ヒロインの名は菜穂子以外考えられないって思いでいっぱいになりました。
最初に観たときは男目線で(二郎目線で)しか追っていなかったんですが、改めて女性目線で(菜穂子目線で)観てみると(自分は女性にはなれないのでこれも男目線なのかもしれませんが)いろいろなものが見えてくるような気がしました・・・。
Omunaodot 2014.12.22 00:10 | 編集
miss.keyさん、こんにちは!

ナウシカはいろいろな意味で原点ですよね。
庵野さんも「エヴァもナウシカの続きを自分なりに作っている」とおっしゃっていますし・・・
宮崎さんの中で、ナウシカと風立ちぬはどういう関係にあるんでしょうね???
アニメ版のナウシカの続編を作らないのも深いわけがあるんですかね。。。

Omunaodot 2014.12.22 00:25 | 編集
おはようございます。
風立ちぬは来春地上波でやるそうです。
ネリムdot 2014.12.22 08:12 | 編集
こんにちは。
今度こそ本当にお元気になられたようで、安心しました。
アニメの「風立ちぬ」は男性のロマンの物語だな、というのが観賞後の第一印象でした。そうですか、ヒロインは美の象徴かぁ、それは全く思い至りませんでしたわ。
ケフコタカハシdot 2014.12.22 13:37 | 編集
僕も以前、「風立ちぬ」について、書いたものがあります。
宮崎さんが堀辰夫の『風立ちぬ』をなぜオマージュにしたのかはわからないのですが、
(たぶん、若い頃に読んだ好きな本、とかだと思う)
↓よかったら、お時間のある時にでも、どうぞ。
http://yurayuragusa.blog.fc2.com/blog-category-39.html
つかりこdot 2014.12.23 12:13 | 編集
メリークリスマス☆
素敵なサンタさんがいらっしゃいますように!!
よっちママdot 2014.12.24 09:09 | 編集
旅行中?
海外?
ペチュニアdot 2014.12.26 05:55 | 編集
ネリムさん、こんにちは!

返信が大変遅くなりすみません。。。
地上波で放映したときのみなさんの反応はどうなんでしょうね
先ずは、主人公のしゃべりっぷりが受け入れられるかですかね
いろいろな意味で楽しみです!!

Omunaodot 2014.12.27 02:05 | 編集
ケフコタカハシさん、こんにちは!

返信が大変遅くなりすみません。。。
「夢」「美」「死」を組み合わせ、「生」を浮き彫りにして描いているのだなあって思います。
夢を追い求め、美を追求し、そして命つきはて、でも新たな生が誕生する・・・
その繰り返しが輪廻なのかもしれません。。。
Omunaodot 2014.12.27 02:10 | 編集
つかりこさん、こんにちは!

返信が大変遅くなりすみません。。。

はい、つかりこさんの明晰で熱い思いを載せた記事、読ませて頂きました!
以下、引用させて頂きます。

>冗談じゃない、なんのために『風立ちぬ』を作ったと思ってんだ、
>『風立ちぬ』でこれ以上風評をもらうことには終止符を打ったんだ、
>僕がアニメづくりでやりたいことは、最後にこれをやらせてもらっておしまい、ということだと思う。
>ホントは “ナウシカ” を続けたかっただろうに、とおもんぱかると、涙が落ちそうになった。

>宮崎さんは、最後にいわゆる宮崎アニメらしくない作品で、長編作家としてのキャリアをしめくくった。
>「ごめんね、トトロやナウシカはもうここにはいないんだよ」と言わんばかりに。

これを読んでいて、ボクも涙が落ちそうになりました。
同時代性、共感、いや、それを越えた不易。
この、目に見えない大きな柱は、風が吹き去った今も、ニッコリと笑いながら、こころの中に堂々と居座っています。
これ以上、言葉はいらないですね。。。
Omunaodot 2014.12.27 02:26 | 編集
よっちママさん、こんにちは!

返信が大変遅くなりすみません。。。
ありがとうございます!!
よっちママさんはどんなクリスマスでしたか???
クリスマスが終わると、あっというまに正月ですね。
この年の終わりって、なんだか大好きなんですよねえ。。。
夜空で月を見上げても、「今年一年ごくろうさん」ってニッコリと笑ってくれているような気がして・・・
さあ、あとひと踏ん張り、ガンバリますかね!!
Omunaodot 2014.12.27 02:32 | 編集
ペチュニアさん、こんにちは!

返信が遅くなった上にご心配をおかけしてしまいすみません。。
いやあ、病欠した分のしわ寄せがきて多忙な日々を送っていました。。
やっと落ち着いたので復帰しますです、はい。
よろしくです!!!
Omunaodot 2014.12.27 02:35 | 編集
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