2015
01.13

南の島にこころを寄せて その4

Category: その他
1873年の禁教令廃止に伴い、五島列島の「潜伏キリシタン」たちは、島内に教会を設立していった。
その数は次第に増え、イチローの背番号ではないけど、なんと51にものぼる。
「五島列島のカトリック教会群」に掲載されている教会の数を島ごとに数えると次の通りである。

福江島  13
久賀島   3
嵯峨島   1
奈留島   3
若松島   3
中通島  26
小値賀島  1
野崎島   1

同サイトの地図には、教会の位置がこのように表示されている。

150113kyokai6.png


五島列島の人口は約7万人とのことなので、約1,373人に一つの教会がある計算になる。
これを神奈川県にあてはめると……。
神奈川県の人口は約900万人なので、1,373人に一つで比率計算すると、合計は6,555!
6,555の教会があるってすごい!
神奈川県のコンビニの数(上位7チェーン)が3,288なので、倍あるってことじゃん!!

まあ、信者の比率は違うのだろうけど、これは本当にすごいことだ。

差別。
虐待。
貧困。
それが延々と続いた迫害の歴史で培われたもの。
宗教に「自分自身の精神の解放」といったことを求める以前に、信者たちはこういった「堪え忍ばざるをえない現実からの解放」を求めたのであろう。

救われたい。
希望の光はどこに……。

生きている現実の世の中で得られることはない。
かと言って死んで解決するわけでもない。
望みは救いの場所を作ること。
そこで天を仰ぎ祈ること。
そして、天国行きの証を得ること。
こういったことしか自らを満たしてくれるものはなかったのではないだろうか。

教会はどこかの資産家がポンと建ててくれるわけでもない。
決して豊かではない暮らしの中で、信者たちが自らの生活を切りつめ、私財を投じ、自らの手で建てたものだ。
たとえば中通島からぽつんと離れたところにある頭ヶ島の「頭ヶ島天主堂」は、夜は漁に出て昼は教会建設に奉仕する信者たちが、1日にやっと1つか2つの石を積んで約10年もの歳月をかけて建てられたものだという。

150113kyokai5.png
wikipediaより


信者の「想い」の現れ。
だから、五島列島には、いろいろな姿かたちの教会がある。
以下は「五島コンカナ王国」( ← リンク )サイトより。

五島における最初の教会として設立された堂崎教会
150113kyokai2.png

下五島では最古の旧五輪教会堂
150113kyokai4.png


半泊海岸沿いに石垣で囲まれた木造の半泊教会
150113kyokai1.png


井持浦教会にあるルルドの洞窟
150113kyokai3.png


そこにあるのは、見てくれがどうのこうのではなく、深い深い、「祈り」、である。

つづく

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コメント
深い内容で・・・
オムさんが先生だったら、たぶん成績が上がると思いました。
多くの歴史が私たちの今につながっている。
これらの方たちの歴史が、私たちの今の自由につながっている。宗教は自由ですよね(*^_^*)
信じるものを捨てるなんて辛いことでしょう。
現状は、宗教という名のもとに良からぬこともあり得ますが。

そう考えるとやはり、歴史を学ぶ必要があると思います。
小学校4年 Miyuyより
評価してください。
Miyudot 2015.01.13 06:58 | 編集
小4のMiyuちゃん、こんにちは!

そうですね、よく理解しましたね(笑)

歴史を学ぶ。
それは先達の教えを学ぶことであり、また、人間を知り、己を知るということだと思います。
時代、環境、社会、・・・好むと好まざるとにかかわらず、そこに生まれそこに生きている自分。
ボクはそれを、「偶然」と言う名の「必然」だと思っています。
各々の「今」の積み重ねがやがて歴史になるのであって、是非の評価は後世に決められるもの。
今の時代もまた、後世に評価されることでしょう。
今できることは、今を生きること。
今を、存分に生きること。
そのために、「知識」としてではなく、「知恵」の源泉として歴史を学びたいと思っています。。

Omunaodot 2015.01.14 04:14 | 編集
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