2015
06.15

「学ぶ」ということ その2

Category: その他
経済学部、経営学部、法学部。
就職を考えるのならこういった学部に行くのがよいのだろうが、ボクの頭にはまったくそんな発想はなかった。

何かを書きたい。

ボクの中の漠然とした「物書き」への憧れ(小説家よりもジャーナリスト)が、文学部系や社会学部系を選択させた。

ということで、大学ではマスコミ学を専攻。
マスコミ原論やジャーナリズム論といったマスコミに関する基礎的な座学を始め、街に繰り出しアンケート調査や取材をしたり(フィールドワーク)、調査結果をコンピュータで分析したり、社会現象をもとに社会心理学に関する考察をしたりと、幅広く面白い「学び」ができたと思っている。

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中でも印象に残っているのが、と言うか、衝撃を受けたのが……。

マスコミ調査法の授業。
講師は十代の少年から見ると「大人の魅力」たっぷりの女性だったのだけど、ある日、「アンケート調査を行います」とのことで、生徒にアンケート用紙が配られた。

さてさて、どんなアンケートかな???

えーと……。

ん?

性に関する調査???

Q.あなたは週に何回〇〇〇をしますか

ええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!

Q.初体験はいつですか?

うわああああああ

だ、だいがくってスゲー!
てか、何なんだよ、これ!

国語、英語、数学、理科、社会と、騎乗位で、あ、やばっ、机上でしかめっ面して受けていた授業とは全く違う。
自由な発想で、いろいろな考えを巡らせることができた。
社会調査でゼミのメンバーでディズニーランドに行って「浦安の地」について語ったり、「お寺の鐘の音と夕焼けとアルファー波の関係」について論じたり。
「それが何の役に立つのか?」というと、表面的には「これ」と言えるものではないかもしれない。
でも、ボクはここで大きなものを学んだ。

それは。

ものごとをつなげて考えること。
点ではなく、点と点を結び線で、線と線を結び面で考えること。
たとえば、先ほど書いた「お寺の鐘の音と夕焼けとアルファー波の関係」で言うと。

「お寺の鐘の音」も「夕焼け」も人々に安らぎを与える。それに接しているとき、人の脳内ではアルファー波が発生しているのではないか?
とすると、「お寺の鐘の音」と「夕焼け」には共通した何か(特徴)があり、「安らぎの(落ち着ける)空間」の提供を考える際のヒントになるのではないか?
そうだ、西岸良平さんの「三丁目の夕日」はまさにそれを「マンガ」という空間で体現しているんだな!
「三丁目の朝日」じゃダメなんだろうな。
それを映画化した「ALWAYS 三丁目の夕日」は昭和30年代が舞台。
巨人、大鵬、卵焼き。
みなが同じ方向を向いて明日に向かっていた高度成長時代。この時代は「昭和」の要なのかもしれない……。

なんてカンジ。
考えていて楽しいし、まったく無関係のもの(無関係と思っていたもの)を関連付けることで新たな発見があったりもする。

文系と理系。
修行僧と科学。
右脳と左脳。
ひらめきと理論。

僧侶が修行で得た「悟り」。これは言葉では言い表せない「世の真理」であり、その「真理」を後追いで科学が解読し言葉で証明しているのでは?
その最たるものは、「死後の世界」や「輪廻転生」の有無。
でも、これが「ある」と証明されたら、人間の生存理由に大きくかかわって社会秩序が乱れてしまうんだろうね。。
まあ、これは「人生の大きなテーマ」としてじっくり考えよう。

ものごとをつなげて考えてみると、「人間」という生き物の本質もわかってくるような気がする。
学生時代に歴史を学んでも、そのときはまだ「人生や人情の機微」についてはピンと来ない。
なので、自分の人生と重ねることなどなく、ただ単に「勉強」として暗記することに専念する。

鳴くようぐいす平安京!
いい国作ろう鎌倉幕府!

しかし、年を重ねると、これを実感する経験が蓄積され次第に「歴史=先達の教え」が自分の人生と重なり、「学び」に対する思いやアプローチが変わってくる。
まったく自分事とは結び付けなかった「古文」(たとえば百人一首などの短歌)についても、味わって接することができるようになる。
実は、けっこう、「好きだよ~!」とか「さみしいよ~!」とか叫んでたりするんだよね。。
そう思うと親近感がわいてくる。

英語も同じ。

If I were a bird, I would fly to you .
もしも私が鳥だったら、あなたのもとへ飛んでいくのに。

仮定法過去。
仮定法の場合は過去形を使う。
そう教えられ、ただ漠然と「そうなんだあ……」と思っていた。
でも、これってアプローチを変え、単に暗記するだけではなくもっと深く探るとその本質がわかってくる。

「過去形=昔」ではない。
「過去形は自分や今という現実と離れていること」である。

仮定というのは現実ではないこと。だから現実(今)と離れている過去形を使う。
この考えと同じなのがこのような言い方。

Would you ~?
Could you ~?

~して頂けますか?
私と離れている存在として「遠慮」して言うので過去形を使う。
日本語の「です」や「ます」といった言い方ではなく、時制の違いで丁寧さを表現する。
さすが立体的な思考の狩猟民族。

いやあ、これも人間の機微を感じる。

こういうことを織り交ぜて教えてくれる先生がいたら、もっと勉強に熱が入ったのに……。
なんて言い訳はやめよう(笑)。

何れにせよ、「学び」は楽しいし、大切なこと。
また続きを書きたいと思う。





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コメント
こんにちは。
人間、学ぶことを止めたらお終いだと思います。
とかなんとか、エラそーに言ってみるペーパーティーチャー高橋です。
ところで、伊丹十三の映画「タンポポ」観ました。
感想のページをリンクしておきますね。
ケフコタカハシdot 2015.06.18 17:04 | 編集
ケフコタカハシさん、こんにちは!

タンポポの感想、拝読しました!

> 人間、学ぶことを止めたらお終いだと思います。

そうですね。
これは実感します。
「学び」ですが、皮肉なことに「学生」を終えるとより一層その大切さがわかるような気がします。
なぜならば、「学びの場」は学校ではなく世の中にあり、先生に言われて「学ぶ」のではなく自らの意志で「学ぶ」ことに気がつくから・・・。
「タンポポ」は、いや、伊丹さんの作品はいろいろな「学び」に満ちています。

> できることなら学生に戻りたいわ

今なら違う視点での学びができるのでしょうね。
でも、それはできない。
人間って、よくできてるなあって思います。。
Omunaodot 2015.06.19 04:59 | 編集
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