2016
06.05

雨の日に観る物語 (リニューアル再掲載)

Category: その他
今日は雨だあ。。
6月の雨。
変わり種オムライスの2軒目を紹介する前に、今日は「雨の日に観る物語」の記事をリニューアル。

今の季節にぴったりの雨の物語。
いろいろとあるけれど、お薦めはこれ!
2013年の5月31日に公開された、「言の葉の庭」

新海ワールドならではの、とても描写が美しい作品。
キャッチコピーは"愛"よりも昔、"孤悲(こい)"のものがたり。

高校1年生。15歳。靴職人を目指す、高校1年生のタカオと、雨の庭園で出会った、ユキノの物語。



wikipediaに掲載のあらすじを見てみましょう!

靴職人を目指す高校生のタカオ(秋月孝雄)は、雨の日の1限は授業をサボって、庭園で靴のデザインを考えていた。ある日、タカオはそこで昼間からビールを飲んでいる女性、ユキノ(雪野百香里)に出会う。どこかで会ったかとタカオが尋ねると、ユキノは否定し、万葉集の短歌 「雷神(なるかみ)の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」 を言い残して去っていった。

こうして、雨の日の午前だけの2人の交流がはじまる。タカオは靴職人になる夢を語り、味覚障害を患うユキノは、タカオの作る弁当の料理に味を感じられるようになる。ある日、ユキノはタカオに「靴作りの本」をプレゼントし、タカオは今作っている靴をユキノのために作ることにする。

その後、梅雨が明け、しばらくの間2人は逢わなくなる。2学期になった夏のある日、タカオは学校でユキノとすれ違い、ユキノが古文の教師だったこと、生徒の嫌がらせによって退職に追い込まれたことを知る。そして首謀者の3年生の女生徒・相沢に会いに行くが、からかわれたタカオは相沢の頬を叩き、その取り巻きの男子生徒に返り討ちにされる。

庭園に向かったタカオはユキノと出会い、万葉集の返し歌 「雷神(なるかみ)の 少し響みて 降らずとも 我は留らむ 妹し留めば」 を口にする。互いの立場を知りとまどう2人だったが、急な土砂降りに遭って、2人でユキノのマンションへ行く。ユキノは濡れた服を乾かしながら、タカオは2人分の料理を作りながら、2人とも今が一番幸せだと感じる。そしてユキノへの好意を口に出したタカオに、ユキノは地元の四国に帰ることを告げる。ユキノは部屋を出たタカオを追いかけ、お互いの気持ちをぶつけ合う。

季節は変わって冬、四国でまた教師となったユキノからは、手紙が来るようになっていた。タカオは完成した靴を手に庭園を訪れ、雨の日々を「2人とも歩く練習をしていた」のだと回想し、「もっと遠くまで歩けるようになったら」ユキノに会いに行こうと思う。







新海監督は、この作品の制作中、こう語っている。

初めて「恋」の物語を作っている。すくなくとも自分の過去作では描いてこなかった感情を、本作ではアニメーション映画の中に込めたいと思っている。
企画を立ち上げる時に思い出していたのは、例えば次のようなことだ。
この世界には文字よりも前にまず───当たり前のことだけれど、話し言葉があった。
文字を持たなかった時代の日本語は「大和言葉」とも呼ばれ、万葉の時代、日本人は大陸から持ち込んだ漢字を自分たちの言葉である大和言葉の発音に次々に当てはめていった。
たとえば「春」は「波流」などと書いたし、「菫(すみれ)」は「須美礼」と書いたりした。現在の「春」や「菫」という文字に固定される前の、活き活きとした絵画性とも言えるような情景がその表記には宿っている。
そして、「恋」は「孤悲」と書いた。
孤独に悲しい。
七百年代の万葉人たち───遠い我々の祖先───が、恋という現象に何を見ていたかがよく分かる。
ちなみに「恋愛」は近代になってから西洋から輸入された概念であるというのは有名な話だ。
かつて日本には恋愛はなく、ただ恋があるだけだった。
本作「言の葉の庭」の舞台は現代だが、描くのはそのような恋───愛に至る以前の、孤独に誰かを希求するしかない感情の物語だ。誰かとの愛も絆も約束もなく、その遙か手前で立ちすくんでいる個人を描きたい。
現時点ではまだそれ以上のことはお伝えできないけれど、すくなくとも「孤悲」を抱えている(いた)人を力づけることが叶うような作品を目指している。
(監督 新海誠 2012年12月24日)

愛"よりも昔、"孤悲"のものがたり。
孤悲……孤独に悲しい。

靴職人を目指す、15歳の高校生、タカオ。
タカオと同じ学校の古典の27歳の教師、ユキノ。

主人公の設定には賛否両論あるだろう。

ボクは、設定は「これでなければならない」と、そう思う。

先ず「ユキノ」という美しい名前。これは絶妙である。
「ユキノ」は苗字であり、ファーストネームではない。
フルネームは雪野百香里(ゆきの ゆかり)である。

生徒と教師。
生徒が教師のことを名前で呼んだらドロドロした関係を想像してしまう。
かといって、ありふれた苗字だと観る者に「よそよそしさ」を覚えさせてしまう。

そして、ユキノが27歳であり、教師であること。
人に教える立場の教師であるが、大人になりきれない「優しすぎる」と言われる女性。
花澤香菜さんの「大人の女性と舌っ足らずの少女が同居する声」がうまくユキノとマッチしている。

噂が広まり、非難され、学校に行かれなくなってしまった「出社拒否(登校拒否)」状態のユキノ。
「27歳の私は、 15歳のころの私より少しも賢くない。 私ばっかり、ずっと、同じ場所にいる」
そう、ユキノはつぶやく。

一方のタカオ。
靴職人を目指す高校生。
幼少の頃のシーンで出て来た父親は、今はいない。
母と兄と住んでいるが、家事をこなし、「ひとまわりも下の若い男とつき合う」母親のことを「あの人」と呼ぶ。
以下、兄との会話のシーン。

140611kotonoha2.png


兄「おふくろは?」
タカオ「家出」
兄「ラッキー。コロッケ山分けだな」
タカオ「さがさないでくださいと手紙にあったけど、本当にいいのかな?」
兄「ほっとけよ、どうせ彼氏とケンカして帰ってくるだろ」
兄「部屋決めて来た。来月出ていくから」
タカオ「ひとり暮らし?」
兄「彼女と住む」
タカオ「それが家出の原因なんじゃないの母さんの。昨日話したの?」
兄「ああ。いい加減子離れしてほしいぜ。自分もひとまわりも下の男とつきあってるくせに」
(回想シーン)母「いいわよ。じゃあ、あたしも彼氏と住むもん」
タカオ「あの人、若く見えるからね」
兄「苦労してないから若いんだよ。その分、おまえが老けてくなあ」

しっかり者、だけど、大人の階段をのぼり始めたばかりの、15歳の少年。

"子供のころ、空はもっとずっと近かった。"
"だから、空のにおいを連れてきてくれる雨は好きだ。"
これは、不快な満員電車を降りたタカオが公園に向かう冒頭のシーン。

140611kotonoha1.png


そんな二人が、「雨の日の朝の新宿御苑」で距離を縮めて行く。
そこは、「晴れの公園」というみんなの共有の場所ではなく、「雨の公園」というふたりだけの特別な場所。

そして、作りかけの靴を「ユキノのため」と決めたタカオがユキノの足のサイズを測るシーン。

140611kotonoha3.png


ユキノはタカオに向かって言う。
「私ね、うまく歩けなくなっちゃったの。いつの間にか」
「それって、仕事のこと?」
「ううん、いろいろ」

うまく歩けなくなったユキノを歩かせてあげるのは、「靴職人」を目指すタカオしかいない。
タカオだからこそ、「うまく歩けなくなった」ユキノに靴を作ってあげることができるのだと思う。

大人になりきれない、27歳の教師、ユキノ。
自立を促される環境におかれた15歳の高校生、タカオ。

年齢差も、教える側と教えらえる側と言う世俗的な立場も、「雨」というシチュエーションの中で融合し、救い救われ、見事な均衡となっている。

そこにあるのは「男女の恋愛」ではない。
二人をつないでいるのは、お互いの、孤悲、である。





孤悲。
互いのこころが、同調し、溶け合う。

チョコをつまみにビールを飲むユキノ。
味覚障害に陥ったユキノにとって、唯一味がわかるもの。
それがチョコとビール。

そんなユキノだが、なぜかタカオの作る弁当の味はわかる。
「歩き方を忘れた」ユキノと、「ユキノのための靴を作る」タカオの、言葉を越えて通い合う、こころ。

梅雨が明け、雨の降らない日が続く。
つまり、会えない日が続く。
やがて夏休みが終わり、9月。

ユキノを退職に追やる原因を作った3年女子の相沢に平手打ちを食らわせ、相沢のとりまきにぶっとばされたタカオは、晴れた日にいつもの庭園に足を運ぶ。
そして、そこにはユキノの姿が。

140612kotonoha2.png


初めて会ったときにユキノが口にした万葉集の歌、
「雷神(なるかみ)の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」
に対する返歌を歌うタカオ。
「雷神(なるかみ)の 少し響みて 降らずとも 我は留らむ 妹し留めば」

「雨が降ったら君はここにとどまってくれるだろうか」
「雨なんか降らなくてもここにいるよ」

「ねえ、その顔どうしたの?」
絆創膏を貼ったタカオの顔を見てユキノが問う。
「先生のまねしてビールを飲んで、酔っ払って山手線のホームから落ちました」
「うそ!」
「うそです。ケンカくらいします」

その後、突然の豪雨に襲われずぶぬれになったふたりはユキノのマンションに。

アイロンをかけ、タカオの服をかわかすユキノ。

140612kotonoha3.png


手慣れた手つきで料理を作るタカオ。
作っていた料理は……。

そう、これ!

140612kotonoha4.png

オムライス!!!

140612kotonoha5.png


「結局これが言いたかったのか!」って思われそうだけど、決してそういうわけではない。

オムライスを食べ終わり、コーヒーを飲むふたりが、そろって思う。

「今まで生きてきて、今が一番幸せかもしれない」

140612kotonoha6.png


幸せの象徴として登場する(と勝手に思っている)オムライス。
やっぱり素敵な食べ物だ!

ご飯を食べ終わり、くつろぐふたり。
タカオはユキノに「ユキノさん、おれ、ユキノさんが好きなんだと思う」と告げる。
その言葉を聞いたユキノは「ユキノさんじゃなくて先生でしょ」と嘯き、タカオに、来週四国の実家に帰ると……。

やりきれないタカオはユキノの部屋から出て行く。

ユキノのこころに、うまく歩くための靴をはかせてくれたタカオ。
かけがえのないものを、今、失おうとしている……。

140612kotonoha7.png


部屋を出て行ったタカオを、「裸足(自らの足)」で追うユキノ。

140612kotonoha8.png

140612kotonoha9.png


踊り場でボーっと外を見やるタカオ。

140612kotonoha10.png


「おれ、やっぱりあなたのこと嫌いです。最初からあなたは、なんだかやな人でした」
ユキノへの思いを無理やり断ち切ろうとするタカオ。
「あんたは一生ずっとそうやって、大事なことは絶対に言わないで、自分は関係ないって顔してずっとひとりで生きていくんだ」と涙ながらに叫ぶ。

140612kotonoha18.png


そしてその叫びは、ユキノのこころのバリアを突き抜けた。

140612kotonoha11.png


大人の階段で立ち止まってしまった27歳のユキノは、もう一度最初から階段を上るべく、15歳(のこころ)のユキノになり、タカオの胸(こころ)に飛び込んで行く。

140612kotonoha12.png


「毎朝ちゃんとスーツ着て学校に行こうとしてたの。でも恐くて。どうしても行けなくて。あの場所で、わたし、あなたに、救われてたの……」
泣きじゃくるユキノ。

そして、このとき、孤悲が孤悲でなくなった。

エピローグ。
季節は冬。

140612kotonoha13.png


いつもの庭園でユキノから届いた手紙に目をやるタカオ。

140612kotonoha14.png


携帯でのやりとりではなく、手紙のやり取り。
素敵な言の葉が舞う。

140612kotonoha15.png


カバンから、できあがった靴を取り出すタカオ。

140612kotonoha16.png


"歩く練習をしていたのは、きっとおれも同じだと、今は思う。"
"いつかもっと、もっと遠くまで歩けるようになったら、会いに行こう。"

孤悲を抱いていたふたりが、互いに「こころの靴」をはかせ合い、今、歩き始めた。

ラストシーン。
雪原(雪野)に残る、タカオの確かな足跡。

140612kotonoha17.png


ストーリーも、映像も、タイトルも、セリフも、曲も、どれもこれもが透明な美しさに満ち溢れたこの映画は、見終えたボクのこころの深いところに響いている。

"愛"よりも昔、"孤悲(こい)"のものがたり。

最後に。

男として、雪野さんの幸せを、心から祈る……。


● Rain  作詞・作曲:大江千里 / 編曲:皆川真人 / 歌:秦基博



スポンサーサイト

トラックバックURL
http://omunao1224.blog.fc2.com/tb.php/935-1710c4b7
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top